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顕証寺(けんしょうじ)は、大阪府南河内郡河南町大字大ケ塚にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は「近松山」。「大ケ塚御坊」とも。 河南町北部、大ケ塚の高台の上に、寺を中心にして周囲に寺内町を形成している。現在もその痕跡をとどめている。 == 歴史 == 大ケ塚寺内町は、鎌倉時代末期、念仏宗第7世法明が、当地に念仏道場を開き、布教をはじめたことに端を発する。 南北朝時代や戦国時代には大ケ塚周辺で合戦が繰り広げられたが、そのような状況下で、念仏宗の寺院を中心に寺内町が形成されていく。 元亀3年(1573年)、本願寺11世顕如が、大ケ塚に道場を開基し、「大ケ塚総道場」と称する。これが現在の大ケ塚御坊顕証寺のはじまりとなる。当時この地は柴田勝家に属し、柴田家の菩提寺とされていた。 のちに豊臣秀吉がこの地に城を築こうとし、寺をとり壊したが、築城は失敗に終わる。 正保3年(1645年)、本堂を再建する。 安永9年(1780年)、火事で全焼する。 寛政6年(1794年)、現在の本堂が建立される。建築面積は、584平方メートルあり、建築に25年の歳月を要した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「顕証寺 (大阪府河南町)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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